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森の歴史:深見城祉と城について

歴史

深見城跡について

神奈川県内ではほとんど類例を見ない中世城のひとつで、保存状態はほぼ完全であ り、空堀や土塁とそれらに区画された郭の様子がよくわかる。

深見城について

「新編相模風土記稿」に記載され、横浜市瀬谷区にある妙光寺の梵鐘の追刻(1452 年)にも名がある山田伊賀守経光が城主であるとされる。山田伊賀守経光は瀬谷から 大和市深見にかけて本拠地としていたものと思われる。

昭和59年から4次にわたる発掘調査の結果、出土した遺物はすべて陶磁器、瓦器類 で総点数14点ときわめて少なかった。この中で最も古いものは14世紀はじめ(鎌 倉時代末期)から14世紀末(室町時代前半期)の間に作られたものである。

城跡の構造からは見ると虎口(城の入り口)がよく側防されているのが特徴で、中 世を通じてかなり進歩した段階のものといえる。しかし、堀が浅かったり、西面が直 線的な側防で保護の工夫がなされていないなど旧式な部分もある。このように進歩し た部分と古さを残した深見城はいつ築城し改築されたのか。

深見城と大変よく似てい る武州滝山城(北条氏照が1559年入城しその後改修した)の遺構から類推すると 16世紀後半と考えられる。

以上のように深見城が築かれたのは、出土品からは14世紀、城の構造からは16 世紀と異なる年代が示された。この間何度も改修されて今の姿になったのか、なぞは 残ったままである。

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